太平洋戦争
1941年から45年に渡った、日本の当時の呼称での大東亜戦争。日露戦争後、日本は資本主義発達を伴なう市場を満州など中国に持つことに努めてきました。第一次世界大戦中に、中国に対し21箇条の要求を出すなど領土的野心さえ露骨に出したために、アメリカその他列強から、日本の進出を恐れられてもきましたが、資本主義の行き詰まりが著しくなった昭和の初期以来、山東出兵、満州事変、上海事変と相つぎ、ついに全面的な日中戦争を大陸に繰り広げ、泥沼状態に入っていきました。これにより英米との対立は激化しましたが、戦争の長期化に備え、東南アジアの資源を求めるぺく、1940年にはベトナムに進駐し、第2次世界大戦中の独・伊と同盟して英・米・蘭などの藷国を敵にまわす事となりました。
こうした中で、アメリカからの経済封鎖という痛手をくらった日本は、ついに41年12月8日に、真珠湾奇襲で米艦隊を撃破し、宣戦布告、他の諸国とも戦闘状態に入りました。当初は戦況有利でしたが、一年足らずで各地で敗色農くなり、国内の戦時体制としての引き締めを強化しつつ、この大戦に耐えようとしました。しかし、外域の太平洋、東南アジアのいたるところで敗戦が続いた上に、本土空襲をしきりに浴びて荒廃を招くに至り、国民の日常生活は極度に窮乏してきました。あまつさえ、米軍の原爆投下が45年8月に広島、長崎にあり、ソ連も参戦するにおよんで、その15日に、天皇から、ポツダム宣言を受けいれ、無条件降伏する旨の詔勅が出て終りました。ポツダム宣言により、明治以来の植民地を失い、米軍を中心に連合国軍の占領を受けて、軍国主義を退け、民主国家とする建直しに切り替えることになりました。しかし、米ソ冷戦が間もなく顕在化してきたために、アメリカを中心にする国々との間でしか1951年の講和条約を結べず、社会主義諸国とのあいだの断絶を深めることになりました。

copyrght(c).日本史.all rights reserved