米騒動
第一次世界大戦の進行は、日本に好景気をもたらし、資本家を潤しましたが、物価高騰で紬民の生活を脅かしました。特に日常必須の米の価格が1918年、大正7年に、前年一石十九円三十五銭の米が、最高七十一円八十三銭と、約4倍にも高騰し、しかも産米の不況、米商人の買い占め、外地輸出の強行のため、経済界の混乱を招き、7月から8月にかけて、各地の米取引所が立会停止を行なうほど行きづまりました。その果てに、8月3日、富山県滑川町の半農半漁の家庭婦人らが米屋襲撃の挙に出ました。この行動はたちまち全国各地に広まり、米屋への襲撃から高利貸、地主への裏撃となり、しだいに資本家の勢力に対する貧困労働者の破壊活動に近づき、その波及範囲は24県13力市町村、参加人員100万に及び一時は内乱状態を示しました。政府はその鎮圧に警官だけでは足りず軍隊をも動かしました。鎮定後に寺内内閣は倒れました。

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