日露戦争
日露戦争は1904年から5年にわたって起こった戦争。朝鮮、満州に領土的野心をもっていたロシアは、日清戦争後日本に対し、独、仏とともに日本の遼東半島領有に抗議し還付を迫り、日本を退けることに成功しました。一方、ロシアの東亜進出を警戒するイギリスは日本と同盟を結みました。北清事変後、日本はいつまでも満州から兵力を退けぬロシアに抗議したが撤兵をせぬばかりが、韓国に対しても迫るかに見えたために、資本主義興隆期の日本としては、市場として重大なこの方面を確保するためにも、ついにロシアと開戦、イギリスやアメリカの支えを得て、激戦を海陸に展開しました。1905年、明治38年3月には、奉天での陸戦に、5月には、日本海での海戦に、それぞれ大勝しました。しかし、この戦争での日本の国力の消耗は甚だしく、ロシアにも革命の危機が現われたのを見はからったアメリカ、イギリスは日本の一方的勝利は今後のためにも警戒すぺきだと考え、講和を、米大統領から斡旋してきました。そこでポーツマス条約を結びましたが、多大の犠牲者を出しながら賠償金も得られぬ民衆の不満は、日比谷焼打事件を起こすに至りました。その後日本の資本主義の矛盾は深まり、社会不安も増大しました。わずかに得た満州での権益を足がかりに、中国への野望を大きくするようになるのでした。

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