関白

関自とはアズカリモウスという意味で、あらゆる奏状を天皇が見る前に内覧する役目でした。「一ノ上」「一ノ人」とも言われ、殿下とも称されました。884年、藤原基経が任ぜられたのが始まりで以来、藤原氏一間の最高の職となりました。中でも栄華をほしいままにした御堂関白藤原道長が有名で、道長の後は彼の子孫のみの独占となって江戸時代に至りました。他家の出身で関白になったのは、豊臣秀吉、秀次の二人だけです。なお前関白を太閣と称しました。秀吉が太閣といわれるのはそうした意味からでした。

日本史

          copyrght(c).日本史.all rights reserved

日本史