正倉院

756年、聖武天皇が亡くなった時、その妃であった光明皇太后が天皇の遺品を収め、久しく勅封としてきた宝庫で、奈良東大寺の境内にある。北・中・南の三倉に分かれ、校倉造といわれる、防湿建築様式をとっています。収蔵品は奈良時代の貴族階級の調度品、楽器、農工具、薬物、文書、仏具などで、当時の貴族の生活や大陸との文化の交流をうかがう貴重な資料となっています。

日本史

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