法隆寺
七世紀初めに聖徳太子が、この地に官を営み摂政の務めにあえっていた時に、私寺として斑鳩寺を設けました。太子の皇子出背大兄皇子一族が蘇我氏に討ち滅ぼされた時、皇子はこの寺に入り自害したといいます。その後天智天皇九年に焼亡しました。藤原京から平城京にかかる時代に、仏教の国家的保護奨励策が打ち出され、この旧寺地にも、造り方は新たにではありますが寺が再建されました。これが法隆寺です。当時の一般の寺とは違った趣きを具えているところから太子、山背大兄一家の怨念の霊を鎮める寺として建てたのだとする説もありますが、とにかく日本最古の木造建築として中門や五重塔があります。金堂には自鳳時代の絵画を思わせる壁画がありましたが、昭和24年に焼失しました。釈迦三尊像、薬師如来像をはじめ、天平期の夢殿には救世観音像など、仏教導入時期の、飛烏、自鳳様式の仏像彫刻が遺ります。

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